元祖くず餅 船橋屋 くず餅を科学する

元祖くず餅 船橋屋
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100年経営研究機構「Do-NEXT100」

船橋屋のくず餅研究をはじめました!

1. 100年経営研究機構のDo-NEXT100の紹介

  • 株式会社ユニバーサルデザイン 総合研究所 所長
  • 科学技術ジャーナリスト
  • 一般社団法人100年経営研究機構 顧問

赤池 学 氏

  • 株式会社 船橋屋 くず餅製造部 部長

千葉 誠

赤池
本日はどうぞよろしくお願いします。
千葉
よろしくお願いします。
赤池
まずは、改めて自己紹介をさせていただきます。私はユニバーサルデザイン総合研究所の所長をしておりまして、これまで様々な企業の商品やサービス、施設、行政施策のデザインに取り組んできました。科学技術的なエビデンスに基づいて、多くの事業者やステークホルダーがワクワクできるような新しいチャーミングコンセプトを考え、それを具体化させるイノベーションデザインを手掛けてきました。
日本は、創業100年を超える企業が最も多い国として知られ、なかには1000年を超える企業も数多くあります。そうした企業のなかには、伝統的に培われてきた自然に学ぶ技術を活用しながら、地域循環共生型のビジネスを確立している企業が多数存在します。私はそれが、これからの日本のものづくり産業のイノベーションを推進していく大切な源泉であると思っています。
私は、一般社団法人100年経営研究機構(=以下、機構という。)の顧問も務めています。長寿企業が暗黙知として継承してきた技術を活用しながら、将来性を見出していけるような先導的事業を開発したいと考えていました。そこで、「次の100年に向けた伴走型事業開発支援事業(=Do-Tank NEXT100)」を機構の中に創設し、その担当顧問として活動しています。
そして昨年、船橋屋さんからのご相談を受け、「くず餅を科学する」という取り組みを始めさせていただいています。そうした流れのなかで、今日は改めて、船橋屋の千葉製造部長と対談をさせていただくことになりました。
千葉
赤池先生、背景をご説明いただきありがとうございます。私も簡単に自己紹介をさせていただきます。
私は、株式会社船橋屋のくず餅製造部部長をしております。入社して20年ほどになりますが、入社以来、先輩職人の姿を見て覚えるような形でくず餅づくりに取り組んできました。ですので、メインは、まさに船橋屋の根幹であるくず餅製造を管理・監督する立場を担っております。いつのまにか職人のなかの親方的な存在になってしまいました。昨年から、少しずつ先生方と関わらせていただくなかで、自分のやっていることがどういうことなのかを、科学的に分析することで感覚的なところが目で分かるようになることに、個人的にもワクワクしております。

2. 船橋屋として「くず餅を科学する」に取り組む理由

赤池
千葉さん、ありがとうございます。まずは改めて、「くず餅を科学する」ということに、船橋屋さんとして取り組まれようとされた理由を教えてください。
千葉
はい。まず船橋屋としては、これまでも、くず餅を科学的に調べてきました。その過程で明らかになったことは、くず餅が乳酸菌の関与する発酵食品であるということであり、そうした事実を踏まえて、新たな商品開発にもつなげて参りました。しかし、「くず餅」という製品そのものについては、小麦のグルテンを取り除き長期発酵させた小麦澱粉を用いて製造するわけですが、その発酵させた小麦がどうしてあのくず餅になるのかが、実はうまく説明できないことに気が付きました。先輩職人から教えて頂いた技を使って、きちんと丁寧に作業すれば、もちろんちゃんとしたあの食感、風味の船橋屋のくず餅ができます。しかし、それはどういう理屈でそうなのかが、振り返ってみると言葉にできなかったのです。職人たちも効率や各作業の目的や意味も気になるようになってきている中で、「見て覚えろ」では技術の伝承も難しくなっています。218年続いてきた船橋屋の明日のビジネスを考えると、「見て覚えろ」で育った自分が現役のうちに、技術も含めてくず餅を科学的に明らかにしておくことが必要だ、と感じたことが、「くず餅を科学する」に取り組み始めた理由です。
赤池
ありがとうございます。まさに218年間の暗黙知を形式知に変えることで、伝統を継承し、さらなるイノベーションの種も見つけていくということかと思います。

3. くず餅とは何か。

赤池
では、簡単にくず餅についてお聞きしたいのですが、船橋屋さんのくず餅と関西の本くず餅はまったく違いますよね?
千葉
そうです。そこからですね。関西のくず餅については、一般的にクズという草の根から葛粉というのを作って、それを原料に製造されています。私達が製造している関東に多いくず餅は、小麦澱粉を発酵させて生成した発酵小麦澱粉を用いて、蒸し上げたものです。
赤池
関東と関西のくず餅では、そもそもの原材料が異なるのですね。船橋屋さんが製造されている小麦粉を原料にしたくず餅は、いつ頃から食用にされてきたのでしょうか?
千葉
これは諸説あるのですが、江戸時代、桶の中に入れた小麦を、そのまま放っておいたら雨ざらしになってしまっていて、忘れた頃に発見したとき、「もったいないから何とかして食べられるようにしてみよう」となり、練って、ゆでるか蒸すかしてみたら食べられたというのが発祥ではないかと聞いています。江戸近郊の下総や上総、相模などの農村で、そうした小麦の食べ方が普及していたと言われています。
赤池
関東のくず餅屋さんはいくつかありますが、どこが最初なのでしょうか?
千葉
元祖と言うところは多々ありまして(笑)。それぞれお店の発祥の由来をお持ちだと思いますが、亀戸では私ども船橋屋が元祖です。初代が下総の船橋出身でして、初代の地元で食べられていたものを、亀戸天神の参拝客に茶店として提供し始めたことが、船橋屋くず餅の発祥だとされています。
赤池
なるほど。農村で生まれた小麦を無駄なく食べるSDGsな食文化を、スイーツという形にして都市に普及させたのが、船橋屋さんのくず餅の始まりなんですね。船橋屋の歴史という切り口も、社会科学的に深堀りする意義がありそうです。

4. くず餅の不思議

赤池
くず餅そのものについても教えてください。千葉さんは、職人歴20年間とのことですが、くず餅のことは入社される時にはご存知だったのですか?
千葉
実はくず餅のことを知らず、船橋屋のくず餅職人が雑誌で取り上げられていたことをきっかけに、当社の門戸を叩きました。
赤池
そうなんですね。最初にくず餅に出会ったときに感じたことはありますか?
千葉
原材料が発酵小麦澱粉なので、発酵食品特有のにおいに驚きました。これを職人の技術で、水洗いなどして精錬していくとみるみるうちにきれいな白い原材料に変わっていって、それをくず餅にすると普通のお餅とは全然違うあの独特の食感が生まれてくる。黒蜜ときな粉で食べると、とても美味しいものに変貌するんですね。発酵小麦澱粉が、こうなるのかと感動しました。
赤池
どのような作業で、発酵小麦澱粉をくず餅にされるのでしょうか?
千葉
船橋屋では複数の発酵小麦澱粉を使用していまして、発酵小麦澱粉の状態を見てそれらをブレンドし、水洗いします。水洗いは一度だけではなく何度もやります。発酵し過ぎないように氷を入れたりもします。そうして精錬された発酵小麦澱粉をお湯でといて、型に流し込み、蒸し上げるというのが、大まかな一連の製造工程です。
赤池
発酵小麦澱粉はブレンドしないといけないのですか?
千葉
それぞれの発酵小麦澱粉だけでもくず餅自体を作ることはできるのですが、船橋屋で販売しているくず餅の色と食感は、単独の発酵小麦澱粉だけでは出来ないんです。色が黒めだったり、弾力がなかったり、硬くなってしまったり、粘りが強かったり、商品としてお出しできるものにはなりません。
赤池
発酵小麦澱粉ごとに何が違うのでしょうか?
千葉
小麦の比重が異なるのと、発酵小麦澱粉を製造している場所が異なります。
赤池
季節ごとにブレンドの配合を変えたりしているのですか?
千葉
季節によって変えたりもしますが、発酵小麦澱粉の入荷ロットによって発酵具合が違うので、新しいものが届いたらその状態をみて、変化を感じたら、配合を変えていくことをしています。
赤池
質問ばかりしてしまいましたが、原材料が違うことを考慮したうえで、製品として成立するブレンドを調合しているというのは、凄いことですね。それを全て職人の感覚でやっているのですか?
千葉
私が入社してしばらくしてからは、原材料の配合については記録をつけるようにしていますが、色々と配合を変えてみて、それでくず餅がどういう感触のものになるかを試してきました。その経験を踏まえて、こういう感触のくず餅をつくるなら、こういう配合が良いだろうなというものをイメージしながらブレンドしています。
赤池
なるほど。最終的な商品をイメージしながらブレンドをしているというのは、まさにバックキャスティングなものづくりですね。熟練技能に基づく、非常に複雑な判断をされて、それを具体的な作業に落とし込んで、製品として形にされているのですね。ブレンドしたものを丁寧に洗浄して、さらに蒸し上げる工程の前に、洗浄した発酵小麦澱粉を湯がく作業がありました。その際、お湯の量をメーターを見ながら微妙に調整しているようでしたが、あそこでは何に留意されているのですか?
千葉
洗浄した発酵小麦澱粉は水と一緒になっているわけですが、その濃度は毎日少しずつ違うので、細かな調整をしています。前日のくず餅の製造で使用した洗浄後の発酵小麦澱粉と水の配分量を確認したうえで、前日のくず餅を改めて食べて食感を確かめます。その日の発酵小麦澱粉の水分量に目星をつけて、混ぜながらお湯を入れ、とろみが出る状態を見極めています。
赤池
発酵小麦澱粉というのは、いわゆるデンプンですよね。デンプンと水だけで、あの旨味と食感のあるくず餅ができあがるのですね。
つまり、原料である複数の発酵小麦澱粉の状態とその日の湿度や気温を勘案して原材料の配合を調整し、洗浄後の発酵小麦澱粉の状態を見て湯がきを見極め、最後に蒸しあげて、船橋屋のくず餅は出来上がるわけですね。
千葉
洗浄の段階で何か違うものを感じたりするときもありますし、蒸す工程でも時間や温度を調整したりもしています。
赤池
なぜ、品質が異なる発酵小麦澱粉を使うのか、なぜ、発酵小麦澱粉のブレンドによって食味が異なるのか。それを明らかにしていく必要もありますね。そして、千葉さんが原材料から最終製品まで、各工程で何を感じ取って良し悪しを判断しているのか。職人の感覚と対象物の状態についても科学的に明らかにしてみる必要がありそうですね。これは非常に興味深いです。
千葉
そう言っていただけると嬉しいです。発酵小麦澱粉も450日くらいかけて発酵させていますが、そのあたりもなぜそれだけの時間をかけないとダメなのかは、科学的な根拠はわかっていません。発酵期間の短い発酵小麦澱粉を使ったくず餅を作ってみたこともあるのですが、それだとくず餅にならないんです(笑)。
赤池
そこでは、発酵小麦澱粉の発酵過程において、乳酸菌がどう関わっているのかを調べる必要もありますね。それだけ長期間の発酵となると、発酵に関与する微生物層が遷移している可能性もありますし、そこにも注目すべきポイントがあるように思います。

5.今後について

千葉
私がずっと思っているのは、昨日よりも今日、明日、より良いものを作ることです。もっと美味しくするにはどうしたら良いか、それを常に考えています。とはいえ、製品は毎日作っています。その作業のなかで機会を見繕い、1枚だけ試してみる。良ければ次に量産で試作して、そこまでいったところで試食をして、それで良いものであれば、それを商品として供していくというやり方で、くず餅の質を上げています。「くず餅を科学する」今回のプロジェクトで、理屈としても数値としても、船橋屋がやってきたことが把握できるようになれば、技能承継の上でも、商品の質を上げる上でも、大きな光を感じられるものと思っています。
赤池
日本の伝統的な技のなかには、生物の力や機能を活用したものが少なくない。米と水だけで造る日本酒の世界では、かなり科学的な解析が進んでいます。そして、それがわかれば、新しい価値創造のイノベーションが生まれてくる。今回の「くず餅を科学する」というプロジェクトは、船橋屋さんの科学コミュニケーションとしても非常に重要ですし、その進捗を公開し、業界で共有していくことにもとても意味がある。ことだと思います。地道な取り組みになるとは思いますが、間違いなく、得られるものも大きい。しっかり伴走しながら、くず餅の未来を考えていきたいですね。
千葉
はい。自分自身も、今までやってきたことの結果がまったく別の視点から明らかになってくることにワクワクしています。
赤池
今回、乳酸菌の研究については、高崎健康福祉大学農学部の教授で、東京農業大学の名誉教授でもある岡田早苗先生に協力していただいています。岡田先生は、日本を代表する乳酸菌の権威ですので、新しい事実を明らかにしてくれると思います。
また、くず餅のあの食感を生み出す構造分析については、ヤマザキ動物看護大学動物人間関係学科長の長島孝行先生に協力していただけます。長島先生は、東京農業大学農学部デザイン農学科の学科長を務められた、食品構造解析の大権威です。
今後は、両先生とも夢ある議論を重ねながら「くず餅を科学する」このプロジェクトを、Working Togetherで進めていければと思います。
千葉
ありがとうございます。科学の目で船橋屋が継承してきた歩みを明らかにしていただくことで、その価値やさらなる可能性をより多くの方に知っていただけるようにできたらと思います。引き続き、どうぞよろしくお願いします。
赤池
くず餅1000年持続学の夢を、明らかにしていきましょう。
一般社団法人100年経営研究機構について
岡田早苗 先生

高崎健康福祉大学農学部教授、東京農業大学名誉教授
木曽町地域資源研究所所長

乳酸菌研究を専門にしております。日本およびアジア地域の伝統発酵食品に関わる乳酸菌の研究を続けてきました。乳酸菌は乳酸を作るだけでなく、食品原料に含まれる様々な成分を違う成分に転換させる力を持っています。乳酸菌のそれらの力は小さいものかもしれませんが、できあがった発酵食品の味覚、香り、触感などに微妙に影響を与えていると考えてます。現在、乳酸菌のささやかな力に注目し、研究を続けております。

長島孝行 先生

ヤマザキ動物看護大学教授

私はこれまで生き物や生物素材のナノ構造を様々な顕微鏡を駆使して観察し、その機能性などを考えることを専門に研究してきました。食品が専門ではありませんが、食品も元をたどれば生物素材です。今回、日本の食文化を代表するくず餅を観察する機会を得て、あの独特な食感がどういう構造から生まれるのか、そしてその構造がどう構築されているのか、ナノレベルの構造解析を通じてメカニズムを科学的に解き明かしていこうと考えています。